もりおか町家物語館

入場無料
開館時間
9:00-19:00
電話
019-654-2911
アクセス
休館日
毎月第4火曜日 / 休日の場合は翌日 / 年末年始

もりおか町家物語館について

コンセプト

懐かしの賑わいに出会う

~地域と歴史と文化をつなぎ、未来へ「ひと」「もの」を育む~

もりおか町家物語館
正面外観
もりおか町家物語館は「懐かしの賑わいに出会う」を
コンセプトに、2014年7月に開館しました。

賑やかでどこか懐かしさを覚える、誰もが利用しやすい憩いの場として、また地域の案内所や、地域文化等の情報発信の場として、新たな地域の中核施設として、市民の皆様とともに歩み、運営しています。

また、当施設の持つ「交流する」「見る」「体験する」「食べる」「買う」という五つの機能を活かし、施設の魅力だけでなく、鉈屋町界隈地域がもつたくさんの魅力的な生活文化を資源として保存・発信していくことを目指します。

マスコットキャラクター モリオ マチコ

建物について

建物について
下屋(げや)のようす

もりおか町家物語館は旧岩手川酒造 鉈屋町工場の跡地を改修した施設です。館内は6つのエリアから成り立ち、主な建物は母屋・文庫蔵・浜藤の酒蔵・大正蔵の4棟です。そのほかに、下屋(げや)と呼ばれる浜藤の酒蔵と大正蔵に挟まれた路地空間、屋外ステージを備えた多目的広場があり、それぞれの魅力を最大限に生かした展示や販売、各種イベント等を随時行っています。

また、浜藤の酒蔵にある「浜藤ホール」(集会室)と「風の広場」(野外・多目的広場)、母屋にある「コミュニティスペースDOMA」は、貸し出しも行っています。

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浜藤ホール(集会室)
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風の広場(野外・多目的広場)
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コミュニティスペースDOMA

沿革

2005年
盛岡市ブランド推進計画「まちなみ景観づくり」プロジェクトが盛岡まち並み塾などとの市民協働の事業としてスタート
2006年
旧(株)岩手川鉈屋町工場跡を(株)ユニバースが取得
2008年7月
「盛岡市歴史的街並み保存活用基本計画」が策定される
2009年
「街なみ環境整備事業」による町並み修景事業の開始。(株)ユニバースより、建物の寄付を受ける
2009年10月
もりおか交通戦略 都市計画道路盛岡駅南大橋線の見直しが決定
2010年7月
鉈屋町歴史的建造物等活用基本計画検討懇話会の設置
2013年12月
盛岡市議会定例会において指定管理者の指定が可決される
2014年7月
特定非営利活動法人いわてアートサポートセンター指定管理業務開始。もりおか町家物語館 開館

岩手川について

岩手川について
懐かしいラベルデザイン

かつて、岩手の代表的銘酒とうたわれた旧岩手川酒造は、134年間の歴史の中で県内はもとより全国的にも「心の酒」として親しまれてきました。その創業は幕末動乱で苦境に立った名門「浜田屋」三代目の関口藤右衛門が、1872年(明治5年)にわずか十石の濁酒醸造の免許を取って担ぎ売りしたのにはじまります。

やがて3代目が築いた「千石酒屋」の土台は子孫にも受け継がれていき、戦後は設備の近代化と品質向上につとめ、昭和40年代終わりには清酒生産量が2万石を超える東北酒造界の大手に発展しました。

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酒器の変遷
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酒造りの道具
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CMでお馴染みだった♪

沿革

1872年
浜田屋三代藤右衛門が仙北町で濁酒10石(※)の醸造を開始(※1石=100升=180ℓ)
1876年
清酒25石を醸造「藤正宗」「藤の井」を売り出す
1888年
昆善八の酒蔵(仙北町)を譲り受け、念願の「千石酒屋」に
1894年
1600石を超え、盛岡一の酒屋に
1896年 
鉈屋町の第二工場を買収(現在のもりおか町家物語館)
1918年
清酒「岩手川」の商標登録
1922年
「大正蔵」「文庫蔵」を増築
1936年
合名会社浜藤酒造店に組織変更
1953年
株式会社浜藤酒造店を設立
1970年
株式会社岩手川に社名変更
1975年
販売実績2万2000石を記録
2006年
廃業 134年の歴史に幕を閉じる

盛岡町家について

盛岡町家について
「町屋」ではなく「町家」と呼んでいる

一般的に「町屋」といえば建物のみを指しますが、私たちは建物だけでなく、庭や蔵を含んだ生活空間を含めて「町家」と呼んでいます。

盛岡の町家には、ほかの地域の町家には見られない特徴がいくつかありますが、そのなかでも最大の特徴が「常居(じょい)」と呼ばれる部分です。盛岡町家の母屋は、一般的に奥まで貫通する「ろじ」に面して、標準的には「見世」「中の間」「座敷」の3部屋に分かれます。その3部屋のうち「中の間」のことを、仕事場・家の中心として「常居(じょい)」と呼びました。常居は二階が載らない小屋組を現した吹抜けとし、この部屋には大きな神棚があるのが普通です。

主人を足下にしない、出世を妨げない為と言われています。 また、外観の特徴として、盛岡町家のほとんどは道路と平行に屋根の棟をもつ建物(これを平入りといいます。)で、下屋といわれる広い軒先がある下屋付平入りが原則です。

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町家正面より
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見世だった部分は案内所として活用
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常居の大きな神棚
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食堂だった部分はコミュニティスペースとして活用
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箱階段
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母屋と文庫蔵

名誉館長

高橋克彦
高橋克彦

はじまりは二〇〇三年に盛岡の啄木・賢治青春記念館で開催された「ぼくらの時代展」である。団塊の世代である我々が幼少時代を過ごした古き良き盛岡が懐かしく、その町並と暮らしを再現し、昆虫採取セットや玩具など思い出の品々を溢れんばかりに展示したものだが、これが記録的な大当たりとなった。
いかにあの時代の盛岡に郷愁を抱いていた人が多かったかということだろう。と同時に子供や孫を連れての客も目立った。自分たちの生きてきた時代を教えたかったのだ。家族の絆が深まったとの感謝の言葉も寄せられた。

私は主催者の一人としてこの展示に関わっていたのだが、これほど手応えを感じたイベントは他にない。ぜひともこの展示を恒久的なものにしたい。もっと規模も大きくして広がりももたせたい。アイデアは次々に生まれたが、肝心の展示場を見付けられずにいた、市民の郷愁だけでなく盛岡の観光の中心軸にもしたかったのだ。
盛岡にはいくつも名所旧跡があるけれど、短時間ざっと眺めれば済むものが大方で長く腰を据えて楽しむ場所がない。それが観光都市に付き物の俗化を防いでいる美点であるのを承知しつつも、観光客の側に立てばやはり寂しく残念に違いない。

彼らは限られた時間の中で存分に盛岡の良さを味わいたいのだ。旅の楽しみである「食べる。見る。買う」が一カ所で満喫できる場所があれば、より深く盛岡を知ることができる。
どうせやるならそこまで、という思いが実現をここまで遅延させる結果となった。構想十一年目にしてそれがようやく形となった。と言っても完成ではない。

「ぼくらの時代展」が入場者の要望や関心に応じて半月ごとに大幅な展示替えや催しを企画したように、ここも運営の基本路線は入場者の楽しみを最優先としている。
わずか半年後にはオープン時とまるで異なる姿になっているかも知れない。育てるのは我々ではなく盛岡市民であり観光客の人たちだ。こういうコンセプトではじめられる施設は全国でも珍しいはずである。楽しかった盛岡を残したい。盛岡をもっと楽しくしたい。盛岡を多くの人に伝えたい
皆さんもこれにぜひ加わっていただきたい。