イベント報告, ブログ

H26.9.6~10.13 ~北限の淡路人形遣い~鉈屋町鈴江家の錦絵展 レポート

平成26年9月6日(土)~10月13日(月・祝)に行われました「~北限の淡路人形遣い~鉈屋町鈴江家の錦絵展」は、37日間で計1106人の方にご来場いただきました。誠にありがとうございました。

 

今回の企画展では、藩政時代より盛岡の地で淡路人形の公演を行っていた淡路人形遣い・鉈屋町の鈴江家の方々が保管されていた明治時代の錦絵(浮世絵)と淡路人形「三番叟」に使われていた人形の実物を、もりおか町家物語館・母屋2階にて展示させて頂きました。

 

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度重なる転居などの奇行と大胆な構図の役者絵で知られた豊原国周や、西南戦争を題材とした作品や明治時代の洋装文化を描いた美人画で人気を博した楊洲周延、また「血まみれ芳年」とも呼ばれ独特の作風で江戸川乱歩や三島由紀夫らに愛された月岡芳年など、近代を代表する歌川派の浮世絵師の作品など、計53点の展示となりました。

 

どの絵も色彩が鮮やかで、とても100年以上経っているとは思えない程素晴らしく、まさか鉈屋町にこんなお宝が眠っていたなんて、と感動してしまう作品ばかりでした。

 

もりおか町家物語館の母屋が建てられたのと同じ明治時代の風俗が鮮やかに描かれた錦絵の数々に、どこかタイムスリップしたかのような感覚を持たれたお客様も多かったのではないでしょうか。

 

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「淡路人形」は、摂津西宮の百太夫(ひゃくだゆう)という傀儡師(かいらいし)が淡路の三條(さんじょ)村(南あわじ市市(いち)三條)に来て人形操りを伝えたことが始まりといわれています。摂津・淡路といえば、現在の兵庫県です。

 

それが、なぜはるばるこの盛岡市鉈屋町に?と思われた方も多いのではないでしょうか。

 

もともと鉈屋町は、北上川の舟運を利用した商人町として栄えた町でした。そこに大きく寄与したのが、上方から移り住んできた近江商人たちだったのです。

 

また、2代盛岡藩主南部重信公は、近江出身の蒲生氏郷の妹を母にもち、上方文化を好んだ人物であったと言われています。近江と盛岡は遠く離れていますが、こうした意外な繋がりがあったのだとか。

 

そうした経緯や様々な史料から、淡路で人形繰りをしていた鈴江家が南部重信公に請われて盛岡へ移住し、鉈屋町へ居をすえたのではないかと考えられているのだそうです。

そして昭和62年、盛岡で淡路人形が発見されたことは、従来の定説を覆す大発見でした。いままで淡路人形が伝わったとされる北限は、福島県だと考えられていたからです。

 

そんな北限の淡路人形ですが、現在子孫の方々を中心に、レプリカ作成や北限の淡路人形芝居の再演企画など、様々な取り組みが進んでいます。今回の企画展でも、岩手県立大学の協力を得て淡路人形の頭部をCTでスキャンし、3Dプリンターなど最新の技術を使って作られた石膏模型を展示させて頂きました。

 

もりおか町家物語館では、これからもこうした地域の文化をみなさまに紹介していければと思っています。

ぜひまたもりおか町家物語館に足をお運び下さいませ。

 


2014-12-09 | Posted in イベント報告, ブログNo Comments » 
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